院長からのひとこと

全ては心の作なり

 私が故郷であるこの地で開業し、いつの間にか15年以上経ちました。その間社会では様々な出来事が起こり、常識と思われていたことが悉く裏切られ、その結果、物欲からヒーリングへと人々の価値観も移行していったように感じられます。私たち徒手療法家も、その要望に応じて多様化した結果、様々な療法やボディーワークなどが行われるようになりました。
 そんな中、新聞の折り込みチラシなどに、「背骨や骨盤の歪みが病気の原因」と謳っている広告をここ数年よく見かけるようになりました。ですが、これはあまりにも単純かつ無責任な言葉であり、徒手医学のあり方に対して誤解を招きかねないのではないかと危惧しています。
 そもそも理論とは、反証可能でなければなりません。ということは、「健康な人は背骨や骨盤が歪んでいない」という説が成り立たなければならないはずです。しかし、厳密に言いますと、健康な人でも骨格が歪んでいるといっても間違いではないでしょう (利き手・利き足があり、また大脳も左右に分かれているため)。さらには、農業に長い間従事されたお年寄りの方が、腰を二重に曲げた状態でも元気に作業されている姿は、決して病人などではなく、むしろ運動不足な若者よりもある意味健康体ではないでしょうか?
 構造を分析することは、ひとつの判断材料として必要ですが、これはあくまでも結果であり、原因ではありません。身体は命ある限り、恒常性によって外界に適応し続けています。よって骨格の歪みも、環境に適応した結果であり、歪ませることで命を存続してくれていると考えられるのではないでしょうか?せっかく適応してくれている状態を、治療と称し化学的または物理的な作用を強いることは、必ずしも身体のためにはならず、新たな問題を引き起こすことにもなってしまう恐れがあります。ですが、これに反して大多数のみなさんは、理想とする姿勢に無理やりでも当てはめれば、美と健康を得られると思っておられるようです。
 みなさんご存知のイソップ寓話に、「北風と太陽」という話があります。強引に変化を推し進めれば、人はかえって頑なになりますが、温かい態度や言葉で接すると、人は自ずと心を開き対応してくれます。人の構造や機能は云わば心を表現しているのです。昔から病は気からといいますが、最近では精神―神経―免疫―内分泌と伝達されて行く、一連の心と身体のつながりや、痛みに対する感受性までもが心のあり方と関連しているということが、様々な医学関連の書物によって記されるようになりました。
 私などは、施術始めにまず座っている患者さんの後方に立ち、両肩にそっと手を乗せることをしています。そしてその瞬間に素早く入ってくる質感を基に、患者さんの状態を主観的にイメージしています。例えば、怒りの感情を抑圧している方は、言いたいことを我慢した結果、息を吸い込んだまま吐き出せない状態で両肩が挙上し、胸郭が膨張して今にも張り裂けそうに感じます。また、大切な人の死によって、深い悲しみに沈んでいらっしゃる方は、息を吐いたまま吸い込めない状態で両肩が下降し、胸郭が収縮し柔軟性がなくなり、さらには大腿部前面の筋力が低下しているように感じます。(対極性の法則により両者逆の場合もあります)
 このように人の健康を語るには、まず心が最高位に在ることが揺ぎ無い事実ですが、人の心を分析するということは、必ず分析者の主観が入りますので、断定的な結論を出すことはまずもって不可能ですし、私も心理学者ではなく、あくまで徒手療法家のひとりであります。が、そこで悲観などはしません。なんといっても徒手療法家の武器は触診にあります。先ほど述べました内容からも察することが出来ますが、触診からイメージへと上っていく間の媒体として、「呼吸」が重要な手がかりとなっています。日本語には、「頭を抱える」・「手も足も出ない」など、身体の部分の名称を使って心を表現している言葉が数多くありますが、「息が詰まる」・「溜め息が出る」・「息を潜める」など、心模様を呼吸の状態として表している言葉も同じく多く存在します。
 そこで、この「呼吸」に着眼点を当て、施術へと応用されたのが「身体呼吸療法」の創始者 大場 弘DC DACNB(カイロプラクティック神経学専門ドクター)であります。「呼吸」とは、必ずしも肺で行う換気的な呼吸だけではなく、熟睡している方を観察すると良く分かりますが、肚(丹田)から波のような動きが起こり、全身へと波及する、云わば身体全体でダイナミックに呼吸しているようなものがあります。この時の呼吸を「身体呼吸」と呼び、施術者がこの身体呼吸波の状態や変化を感じ取りながら、提案・誘導・フィードバックをし、患者さん自身の心身の気付きによって、再構築されることを目標とする、決して無理強いすることのない合理的な治療法です。
 私自身も日々感覚を研ぎ澄まし、この身体呼吸療法を実践していますが、施術者にとってまず大事なことは、施術者自身が健康でなくてはならないということです。この療法は、施術者と患者さんとの云わば共鳴によるところが大きいことから、施術者が健康でなくては患者さんの健康が見つけられないのです。オステオパシーの創始者 A.T.スティルも、「医師の目的は健康を見つけることである。疾病を見つけることは誰にでもできる。」と述べています。言い換えれば、患者さんの健康は施術者の健康であり、施術者の健康は患者さんの健康であるといえます。
 人は人の心に共鳴して、はじめて自分の心を知るのです。周りに人の心が無ければ、自分の心も存在しないのです。要するに、傍にいる人の幸せが、最高の自分の幸せなのかもしれません。


                                  2011年 7月11日
                                     大野 悟