院長からのひとこと

絶対主義から原相対主義へ

 前回「人の構造や機能は云わば心を表現している」と述べましたが、現代人の姿勢の悪さや、鬱病の多さを考えると、まるで病んだ集団社会を個人の身体で表現しているように思えてなりません。
 私が学生時代、世は将にバブル経済絶頂期でした。周りを見渡せば、少しだけ年上の大人たちがソフトスーツやボディコンに身を包み、シャネルの何番だったか?またはディオールのポワゾンをプンプンさせて、ブランドのバッグを持ち歩き、ヘネシーやドンペリを浴びるように飲んでいました(少し大袈裟かも)。私自身はこれにあやかることが無く、というか出来ずに終わってしまいましたが、バブルが弾けた後は、情けない経済状況をニュースで知る毎日でした。これにより発生した不良債権に対し血税を投入し、何とか事を収めたかに(収めてない)見えましたが、また後にITバブルなるものが登場し、若者達がパソコンの前で汗も流さず(冷や汗は流したかも)、クリックひとつで何億ものお金を動かしていたのを、テレビ番組で違和感を持って見ていました。ですが、結局これも長くは続かず、今現在世界全体が経済的にも冷え切った状態となってしまいました。しかし、なぜ人間は性懲りも無くここまで欲の塊なのか?野生に生きる動物は、腹一杯であれば周りに食物が有ろうとも見向きもしませんが、こと人間に於いては、デザートは別腹というように元来本能であるべき食欲が、違うものへと変わってしまっているようです。
 仏教で唱えられている様に、欲が苦悩を作っていることは周知の通りですが、暴走した欲の結末は惨めなものに過ぎません。私の傾倒している心理学者・精神分析学者のひとりで和光大学名誉教授の岸田秀氏によりますと、「人間は、行動規範すなわち本能が壊れてしまっている為、自我という人工的な行動規範を必要とし、その為現実との対応が失われてしまい、生命体としてどうして良いか分からず、故に全ては幻の中でもがいているにすぎない」という「唯幻論」を唱えていらっしゃいます。
 確かに人の脳を分析すると、階層的に進化した結果、脳幹の働きだけでは既に機能出来ず、高次の大脳皮質や辺縁系との密接なネットワークにより機能している為、云わば本能を修飾した状態であり、全ては自己という色眼鏡を透してしか物を見る事が出来無くなっていますし、また、身体的にも毛の無い猿である為、自然を自分の身体に適した状態に作り変え(破壊)なければならないのです。よって、高次な脳から高度な文明を作り上げた傍ら、他方に於いては人間に我執という際限の無い煩悩をもたらし、いずれは破壊への道へと追いやられる事になるのではないかと憂いてしまいます。

 私自身、患者さんとストレスについて話をする際に、「自我」を「価値観」に置き換えて説明していますが、皆さんの価値観とは何でしょうか? 「お金」ですか?「学歴」ですか?「名声」ですか?でもこれらは人間社会(その時代にもよりますが)に於いての集団的価値観といってもいいでしょう。そしてこれらは決して純粋な自己の普遍的価値観ではありません。しかし、実に多くの人々が、その集団的価値観を絶対的価値と位置付け、またそれを得ようと苦しみます。この集団的価値観は、人がオギャーと生まれ社会に適応する間、親や周囲の人々または社会全体から(マスコミの影響も大きい)かけられた云わば催眠術の様なもので、その催眠術をかけた親を疑うことはタブーであるという二重の催眠術をかけられているのです。
 ですが、集団的価値観はどうしても真の価値観ではない為、自己の純粋な気持ちがそのことに疑いを持ち、そこへ不安が生まれてきます。そして、その不安によって広がっていく穴を、もっともっと多くのお金や名声(欲)によって穴埋しようとする訳です。不安と欲との関係は、お互いがお互いを強め合う非常に危険な関係なのです。要するに、この関係に気付き、手放せばいいと思うのですが・・・。
 先に紹介した岸田教授は、唯幻論を発表した後、ある生徒から「全てが幻ならば、殴られても痛くないだろう」と、本当に殴られた経験を話されていますが、教授も著書で言われている様に、この生徒は絶対的価値観を捨てると同時に、自己まで捨ててしまった為、ニヒリズム(虚無主義)となってしまった典型的な例であると思います。絶対的なものに自己を預けていなければ安心立命が得られないと思っている人が、この様になってしまうのでしょうが、全てを誰かに決めてもらわないと何も出来ないのと同じなのです。
 人生の意味や生きる喜びなども、すべて絶対的なものから発するということはありません。千人居れば千通りあるはずです。要するに、催眠術にかけられた自我を再構築する為に、絶対主義から原相対主義(絶対主義のネガティブでないところの相対主義)へのパラダイムシフトが必要だと思います。



                                  2011年10月12日
                                     大野 悟